【毎日を、少しだけ、生きやすく】

金融系27歳OL。旦那さんは転勤族で、今は単身赴任です。過去経験した流産・留学・学生生活、そして社会人として。日々想いを綴ります。皆様に何か一つでも、生きやすく、心が軽くなる言葉を発信出来ますように。

もやっとした時の対処法。

今日はもやっとした時の対処法について書きたいと思います。


普段余り小さいことは気にせず、忘れっぽい私ではありますが、やはり人間なのでもやっとする日もあります。


その時の解消法をご紹介します。


①何にもやっとしたのか書き出す、もしくは整理する


②何が自分の気分を害したのか原因を探る


③(イラっとしている自分も嫌ですし、)可能であれば、自分の中で解決して、不平不満は口には出さない。

腹落ちしたら早めに忘れるよう心がける。


④相手が対旦那さんならば、自分の考えは口に出さないと分からないので、伝える。

(あくまでも言動を変えてもらう訳ではなく、私はこう思うという形で)


友人や家族、仕事関係であれば「そういう考えもあるか」と深く善悪を決めつけない。


もやっとする事とは、自分の思い通りにならない事から始まると思います。


例えば、今日旦那さんから

「単身赴任の時期があって良かった。」

と言われたことに対してもやっとしました。


私は

一緒にいたらご飯も作って健康も気をつけられる

温かいご飯を作って待っていられるよう

毎日顔を合わせることで寂しくない

家事も手伝える


旦那さんは、

急な飲み会も最初はお付き合いの内で大事、最初から妻がいるからと帰る人は付き合いが悪いと思われる。

自分に余裕が無いと心無い言葉をかけて喧嘩になっているかも。

結果悪いことばかりではないと。


気持ちが分からなくも無いのですが、私がいなくてもやっていけると、私の存在を否定された感じを受けたことが嫌でした。


それを嫌な感じにならないように無い知恵を絞り、

「私と居たら良いことあるよ?一緒にいても私達きっと喧嘩しないし、ご飯も出てくるし家事も手伝えるし…と伝えると、

「「私がいなくて良かった。」という言葉は語弊があったね、ごめんね。」と言われました。


しばらく黙り込んだ後、かつ口数が減っていたので気づいていたと言われまして。


それが私だとも言われまして。

改めて私をよく理解してくれている旦那さんで良かったなあと感じました。


後、夜には考えないことも大切かと思います。

仕事終わりで疲れていると特に、負のスパイラルに入ってしまい、冷静な判断が出来ないので。


拗ねたり、ワガママを言ったり、小さな言葉遣い一つを気にする小さな自分が嫌になります。


けれども、その凸凹埋めてくれる旦那さんがいるからこそ、日々生きていることに幸せを感じるのかなとも思います。


良い女ぶって、自分の中で全て解決して、毎日一緒に暮らす旦那さんにすら仮面をかぶる自分ではいたくないかなとも思います。


優しくしてもらった分、私も何か旦那さんの役に立ちたいと思います。


1回目の妊娠①

記憶が鮮明な内に、妊娠・流産について、当時の気持ちを書き綴りたいと思います。


もしもご不快なお気持ちを抱かれる方がいらっしゃれば、ここで引き返していただけましたらば、幸いです。


生理予定日1週間前位から

夜中何度も目が覚めたり、

胸が張ったり、

熱が出たかのように寒気がしたり、

12時前には音を立ててお腹がなったり、

ぎっくり腰みたいに腰が痛かったり


妊娠初期症状が沢山出ていて、かつ高温期も続いていましたので、

いつもと何だか違う気がしてはいました。


せっかちな私は、早期妊娠検査薬を使用し、生理予定日当日には妊娠している事が判明し、旦那さんに伝えました。


旦那さんは笑みが漏れていて、ニヤニヤしたり、かと思えば本当か疑ってみたり、忙しかったです。


転勤が決まったとほぼ同時だったため、

「平日だったら立ち会えない!」

何て分かった翌日から悩んでいました。



友人とご飯の約束もしていたので、生物が食べれない事をどう隠すか苦労したりしながら、


お腹を撫ぜては

「どうか無事に安全に生まれてきてね」

という気持ちで一杯でした。


ある時お腹がズキズキ痛くて、心配で早退して病院に行ったところ、無事に胎嚢が確認出来て。


卵巣が少し腫れてるけど、一過性のものかもしれないし分からないと、

胎嚢を作ってるからお腹が痛むんだと先生から教えていただき。


最後に診察室を出る時に

「おめでとうございます。」

と言われて泣きそうでした。


旦那さんにエコー写真を見せたら、

「台風みたい…」なんて言われて。


けれども、後から今となって思い返せば、流産とか、子宮外妊娠とか、色んなワードを検索して、とにかくとにかく不安でした。


どこかで不吉な予感がしてたのかもしれません。


後から後悔したくなかったので、気をつけれることは全て気をつけなければと、冷え、生物、転倒、カフェイン

かなり過敏で母にも呆れられる程でした。


この頃旦那さんの曾祖母が亡くなった時期とも重なり、

「こんな言い方不謹慎かもしれないけど、命って繋がってるんだと思ったよ。」

と言う旦那さんの言葉を聞いて


「この子はきっと大丈夫だ。」

と言い聞かせて。


2週間毎に通院を重ねて、7周目で心拍も聞こえて、

「ああ、やっとこれで安心できた。」

と初めて思えて。

けれども医師からは

「これから先、心拍が大きくなるかは神様しかわからないから。」

と言われて。


通常母子手帳が貰える頃なのに遅いなあとは薄々思っていましたが、不安は色々あっても、まさか自分が流産になるとは思っていませんでした。


長くなるので、また明日に続きます。


1回目と書いたのは、またこの先妊娠したいなと思っているからです。

単身赴任を受け入れてみた。

こんにちは。


沢山書きたいことはあるものの、まず何から書こうかなと思っていた次第です。



そこで、まずはお題に沿って書いてみたいと思います。



今週のお題ゴールデンウィーク2017」


→私は旦那さんと会います。


まずは車で私の地元に帰って来てもらい、5月1日・2日仕事をした後、旦那さんの転勤先へ一緒に戻ります。


私の休みはカレンダー通り、旦那さんは4月29日〜5月5日、休日出勤もあり、会える時間も限られます。


私たちは昨年結婚し、もうすぐ1年になります。


私が先に寝ていない限り、毎日1-2時間電話する程仲は良いです。


こんなにすぐ離れ離れになるとは想像しておらず、転勤が決まったのも今年の1月末。


3月には異動してしまい、最初は流産の事もあり、仕事を辞めてしまおうかとまで落ち込んだ時もありました。


けれども、やっぱり行きていく上で、明日からお給料ゼロという状態は、とても怖くて。


転職をするにしても、また何年かしたらば転勤があることを考えると、正社員ではなくパートかなと思い。


旦那さんの転勤先でパートを探すと、英会話講師か金融事務が良いかなあ何て、雇ってもらえるか分からないのに妄想してみたり。


でも、やっぱり今と同じくらい稼ぎたい・自分で好きなものを買いたいという気持ちもあったり。


いっそ手に職をつけるために資格を取る??


でも宅建には余り興味が無いし、今から看護師学校何て…


など、もやもやした日が続きました。



けれども、

 

【仕事を続けると決めたのは自分】




という事実に気がついた時、文句は言えないと、自分の中で腹をくくることが出来ました。


仕事なので失敗や、嫌なことがある日もあります。


けれども、頑張って生産性を上あげて17時に帰るよう工夫したり、お客様にお褒めの言葉をもらえると、私がいる意味も感じられ、やりがいがある事も事実です。


旦那さんは優しいので、辞めても続けても好きにしたら良いよと言ってくれます。


それでも、辞めずに半年待って異動願いを出すと決めたのは、他ならぬ私です。


友人からは、きっと私は生活レベルを維持したいんだとも言われ、腹落ちしました。



気づかない内に自分の価値観で、自分が物事を選択していることに気がついた時、その責任は自分で負うべきだと思いました。



寂しい、寂しいと言い、


テレビ電話で顔は見えても触れられないとワガママを言い、


相手にも寂しい?と聞くことで、自分への愛情を確かめる。


長い人生の中、数日ならばそのような日があっても良いかとは思います。


けれども、寂しいと繰り返しても、最短半年先まで一緒に住めない事実は変わりません。


旦那さんも、慣れない環境で頑張っています。


もっと私にはすべきこと、出来ることがあるのではないか。



その結果、今の現状を受け入れて、空いた時間でブログを始めてみました。


自分の思い通りにならない事を、否定すると、きっと余計にしんどくなってしまうのではないかと思います。



願いが叶わない、そんな現状にも少しずつ向き合ってみて、いつか意味のある出来事にしたいです。



それでは、また明日。

毎日を、少しだけ、生きやすく。

初めまして。


私は主に電話応対を日々行い、地方で金融系OLとして働いて5年目となります。


去年ご縁ありまして、全国転勤の主人と結婚いたしました。


これから、私がブログを始めるきっかけになった出来事について、書きたいと思います。



マイお題

お題「あなたの趣味遍歴」



昔から私は、趣味と呼べるほどのめり込む事が無く、就職活動の時にも、好きな事を仕事にと考えたものの、

自己分析を繰り返しても、見つけられず仕舞い。



結局、ワークライフバランスを重視して今の会社に落ち着いた経緯があります。



少しカメラを齧って、CANON eos kiss7 を持って同期や友人と旅行に行ったり、


1日スクールに行ってみたり。


海外のドラマを字幕なしで見たり、


女子が得意とする友人とカフェでお喋り等は、人並みに好きです。


けれども、「趣味と呼ぶには何か違う。」

と言う気持ちは払拭出来ないままでした。



美大に通っていた友人のように、

素敵な作品を生み出せたり、



大学時代に社交ダンスを身につけ、

今も週に1回は教室に行く友人のように、


「これが好き!」と周りに胸を張って言える事を、探しても探しても、ずっとどこかで、


「これを趣味と呼んで良いのだろうか…」


という気持ちがありました。




しかし、ふと最近気がついた事があります。

高校生の頃、留学した時に


「起こった事を忘れないように」


と母が持たせてくれた、

赤い革張りの3千円近くしたノート。


初めてこんなにも高級なノートを買ってもらえたことに、ワクワクしました。


ピカピカで、革とインクか混ざった、

特有のツンとした匂いは、


今でも当時の事を思い出させてくれます。


留学も私なりには凄く苦労しましたので、それはまた別の機会に書かせていただきます。


その当時は、半年程で日記のペースは落ちましたが、大学生、そして27歳になった今も、


自分の気持ちを整理・吐露・記憶する場として日記をつけています。





【私の趣味は、日記をつけること】





日記を書くことにより、自分の気持ちを整理して、

客観的に観察することで落ち着けて、

前を向くことが出来ると信じています。




例えば、最近であれば流産について。


子供を授かって、双方の両親にも報告して、

ただただ幸せでした。



お腹に手を当てて、

どうか無事生まれますようにとずっと考えてました。



しかし、心拍も聞こえて一安心した次の検診で、繋留流産であることが発覚。

暫くは呆然として、涙すら出ませんでした。



それは、強がりで意地っ張りな私の、病院では泣きたくないという、


精一杯の抵抗でもありました。



ギックリ腰のように腰が痛くても、


ご飯食べるたびお腹が気持ちが悪くても、


ホルモンバランスの関係から夜中起きて、


寝不足のままフラフラになって仕事に行っても





あの子が生まれてくれるならば


なんでも良かったんです。





友達や後輩、先輩のお子さんは無事生まれてくるのに、

今この産婦人科にはマタニティマークを付けた人が沢山いらっしゃるのに、

どうして私だけ自分の子供を手に抱けないのか。



どうしてこんなに辛い手術をした翌々日に、働かなければいけないのか。


どうしてって思ってはいけない


何も生まれない、あの子は帰ってこない。

と頭では分かっていても、

ぐるぐると同じ思いが頭を駆け巡りました。



手術1週間後には、

電車で5時間かかる遠い地へ、旦那さんは転勤となり

子供も旦那さんもいなくなって、

私はどうすれば良いのかと、


旦那さんに行き場のない気持ちをぶつけた事もありました。



今は、2ヶ月程経ちましたので、気持ちの整理も着きましたので、ブログを始めました。



流産についても、時系列を揃えてまた書きたいと思います。



しがない、ただの一般人の徒然日記です。


ですが、もしも私と同じ思いをされた方や、


毎日一生懸命働いてらっしゃる方のお気持ちが、何か少しでも解けたらば…


おこがましいですが、そんな気持ちで始めました。


もちろん、流産だけではなく、


長年日記をつけているからこそ気がついたこと、


日々仕事を通して一緒に働くメンバーから、お客様からの言葉、


そして愛する旦那さんや家族からの優しさ、



全て今の自分に繋がっている、


大切な出来事による気づきを書きます。




【毎日を、少しだけ、生きやすく】



これは、完璧主義で、


友達や家族には笑顔でいながらも、


自分の中では色んな想いを秘めている、


そんな見せかけは強い私が、


弱くなれたお話です。



仕事で一つミスをする度に、


この世の終わりだと思っていた過去の私に比べれば、


昔より、生きやすくなれました。